おごる平家は久しからず・・・

平家の落人伝説の地は各地にありますが、愛媛県八幡浜市にある平家谷もその一つ。

 

コロナ禍で素麺流しも延期になったということで、平家谷に行ってきました。

 

素麺流しが例年通り4月29日だったら、観光客が多くて行くのはやめていたと思います。

 

で、・・・・やはりほとんど人はいませんでした。

平家谷自然林は、びっしりと谷の周りを囲んでいて、夜だと怖くて近寄れないようなところです。

 

でも、伝説は本当なのかどうかは知りませんが、平家の落人伝説を観光の目玉にするために公園を作ったようです。

 

小川があるので、水の音が心地よいです。

自然公園から素麺流しのある所まで遊歩道が続いています。

でも、初めに書いた通り、素麺流しは延期されたため、誰もいないひっそりとした空間でした。

「平家谷落人伝説の地」と書かれた樹の切り株。

 

本物は黒ずんで見えにくいのですが、写真に撮ると赤が鮮やかに浮かび上がって不気味です。

平家谷から帰る途中に街が見えたので撮ってみました。

おそらく八幡浜市保内町の街並みだと思います。

八幡浜市のHPから、平家谷の由来について抜粋しますと・・・

 

平家谷の由来

 

 文治元年(1185)長門の国壇の浦(現在の山口県下関平の戦に全敗した平家一族が瀬戸内海を東西南北に落ちのびていきました。そのうち、平有盛系一族8人は三崎半島の瀬戸内海沿いに流れつき良き場所を求めて逃げ落ちた場所が、現在の平家谷であるとされています。
 その当時、この地は昼夜の区別がつかないほどの入らず山であり、彼らは此処へ身を隠して百姓になりました。その後、東・西へ見張所を造り毎日見張りをしながら500m位下の現在のハザマ谷の荒地を毎日開墾して3年の月日がたったある日、見張人が白サギ鳥が海岸近くに群れ飛ぶ様を敵の白旗と見誤り、今敵らしい白旗が海岸の方より押し寄せて来ると皆に知らせました。一同は、逃れる術もなく、捕らえられて憂目を見るよりはと相談の結果、平家の子孫を跡へ残したいと話し合い、2人を残して6人の者は、ハザマ谷の田の中で切腹してしまいました。
 残された2人は、6人の死体を平家谷の入らずの森の岩穴へ埋め、その後は両家部落で生き続けました。そして、平家谷へは一切近づけなくなり両家部落の方々が切腹された方々の霊を慰める為、旧暦の11月初申の日に部落中が集まり、毎年田で取れた米で酒を造りお祭りをすることにし、お祭りの日には、弓の稽古、神楽、その他の行事を行うようになりました。しかし明治34年頃、家庭で酒を造る事が禁止されこのお祭もなくなってしまいました。

 

なんか、やっぱり悲しいですね。

 

おごる平家は久しからず・・・とは言いますが、一族を根絶やしにするというのは、やはり怖いことです。

 

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さて、今日はGWの最終日です。

朝から出勤して給与計算をしていました。

 

ブログを書いたら帰宅します。

 

外は・・・雨が強く降っています。

家出大人しく、映画でも見ようと思っています。