寛容性が無くなっている社会は・・・・

また月曜日になりました。

 

以前どなたかが書いている記事を見て、そして最近の世間の情勢を見て、・・・・・つくづく思うことですが・・・・・・

 

寛容性の無さ。

極端。

 

これが今の世間を覆っている風潮ではないかと思います。

 

ひとつにはSNSの発達にも原因があると思います。

 

目を引くのは過激な言動や言葉であり、どうしても極端に走りがちです。

 

これは、良いことも悪いこともそうです。

 

良いことの例を上げると・・・・・

 

「神対応」などという言葉はその代表です。

 

人間は神ではありません。

神対応などありえません。

 

悪い意味の例は多すぎて、すぐに「死ね」などの言葉が飛び交っています。

 

あと、嫌いな言葉に「闇落ち」というのもあります。

 

最近の情勢と言うか、ちょっとした言葉尻を捉えて批判するというのがあります。

 

昨日のニュースでは、「静岡県知事選の応援演説で自民党推薦候補の当選に向けて「この方を私たち女性がうまずして何が女性でしょうか」と述べた自らの発言」が子どもをうまない女性は女性ではないと受け取られかねない不適切な発言」・・・・・・

 

なんでしょうかこれは?

 

「子供をうまずして何が女性でしょうか」と言っているのではなく、「新たな知事をうまずして何が女性でしょうか」と言っています。

 

もちろん、「女性がうまずして何が女性でしょうか」の部分保批判しているのは分かりますが、目的語の「この方を」を入れれば問題無い発言です。

 

「この方」というのは「静岡県知事の候補者」であり、「静岡県知事をうむ」というのは比喩であって出産でないことは分かっているはずです。

 

こんな揚げ足取りをするとなると、新たな知事を生み出すという言葉も使ってはいけないようなことになります。

 

難しいことを導入するときに、様々な困難があることを「うみの苦しみ」などと言いますが、もう、「うむ」という言葉は子供を産むこと以外に使うことすら許されなくなりそうです。

 

寛容性のない社会は当然ギスギスしてしまいます。

 

ちょっとした失敗でクビ!

 

ちょっとした犯罪で死刑!

 

世間を騒がせたおバカさんの住所や職場を暴き、その情報を鵜呑みにして、同姓同名の関係のない人物に罵声を浴びせる。

 

挙句の果ては、間違った情報に踊らされて名誉棄損や損害賠償で訴えられる。

 

こんなことやめませんか。

 

まあ、今日はこんなことを書いてみました。